就職活動考察

どうも朝方は鬱になりやすい気がします。体質なのか生活環境のせいなのかどちらかは分かりませんが、似たような生活環境の人を見ていると答えは自明という気はします。
ところで、ちょっと就職活動について考えてみたいと思います。すでに佳境どころかピークを過ぎた状態ではありますが。
ちなみに、テーマは「負け組から見た就職活動」ってことで行こうかと思っていますので、そういうのが嫌いな方は見ない方がよろしいかと。おもしろくもない自虐ネタってことですね。
そもそも、就職活動にはいろいろとノウハウがありますが、「何でこんなことやらなきゃならないんだ」なんて思っている人はおそらく負け組に近いでしょう。そこから割り切ったり、割り切れなくても実行していける人は知りませんが。知り合いに、「自分が企業の担当者だとしたらまちがいなくほしい」と思えるような人がいます。長髪で茶髪ですが、そんなことは関係なく欲しいと思わせてくれるでしょう。事実、3月くらいには内々定が出ていたようです。4社受けて3社受かったとかいう話だったので、まあ、普通の人ではありませんな。そういう人と比べることで、就職活動について理解する一助になれば、と思っています。まあ、ならないと思いますが。
就職活動において重要なことは、おそらくそのほとんどが社会人にとっても重要なことだ…と言えるでしょう。実際はどうなのか知りませんが、そう思える人はおそらく就職活動で成功する人なのだと思います。問題は、そう思えない人がいることです。なぜ思えないか。それは、極論すればやる気がないからではないかと思います。冷静に分析した結果、社会人のルールと就職活動のルールは違うものだ、とする人がいるかも知れませんが、僕は冷静に分析していないので知りません。分析できるほどの材料も持ち合わせていません。
マニュアル本などにはよく書かれていますが、やる気というのは、コミュニケーション能力と並んで就職活動では重要なことです。しかしこればかりは、本人の意志でどうにかするにも限度があります。すべての礎となるはずの、その肝心の「本人の意志」があるかないか、という問題だからです。参考までに、僕にはやる気などありません。就職して給料がもらえればもう少しいいPCが買えるかな、と思いますが、現状でそれほど不満はありません。それ以外に特に欲しいものもありませんし、就職する必要がないのです。あるのは、このまま親の世話になるわけにはいかないという消極的な理由だけです。もちろん、親にも社会にも周囲の人にも世話になり続けるわけにはいかないということで、親に限ったことではありませんが、いずれにせよ消極的であることには変わりありません。
なぜ積極的な理由がないかと言えば、それは自己実現の欲求がないからです。就職に対する積極的な理由とは、つきつめれば就職して何かをやりたいということに尽きます。給料で何かを買いたいとかいう理由では、給料さえもらえれば仕事はしなくてもいいわけで、積極的な理由とは言えません。仕事を通して何かをやり遂げたいというような欲求があってこそ成り立つものなのでしょう。実際、就職活動に関する議論ではこのことが前提にされている場面が多々見られます。「当社の利点」として自己実現できることが強くアピールされているのですね。しかし、そんなものにまったく魅力は感じないのです。最高の自己実現ができることよりも、残業がないことの方がよほど嬉しいですね、僕は。国民性で言うと、フランス人に近いと言えるでしょうか。こんなことを言ってはフランス人に失礼かも知れませんが。
ただ、別に僕だけでなく多くの人が言っていることですが、働くだけがすべてではないと思いませんか。僕は、余暇の時間を有効に使いたいのです。なぜなら、仕事によって他の人のお金を奪うということが好きではないからです。結局、仕事を他人のためにしていたとしても、それによって対価が支払われる以上、それは純粋に他人のためとは言えないわけです。自己満足のために他人に奉仕したいのに、それで対価が支払われるのでは意味がありません。かと言って、ボランティアでは生きていけません。ボランティアをするのはいいのですが、その前に自分が生活していく必要があります。だからこそ、仕事で自己実現ということを前提としないことが必要なのではないかと思うのです。
はてなキーワードの「就職」には、いくつかの引用が記されています。引用するときは、引用が従で自分の意見が主でなければならないとする意見を見ますが、このような引用は大いに結構なのではないかと思います。他の人が自分の意見をこんな風に引用されたときはどう思うか知りませんが。重要なのは、引用なのか自分の意見なのかを区別することだけではないかと思うのですが。それで、引用元の人がどう思うか分からなくて不安なのであえて引用はしませんが、「就職」というキーワードに書いてあることには大いに賛成します。現状において、いくら自己実現やその他諸々の主張を重ねたところで、この「就職」に記された内容を否定できる人は少ないでしょう。世の中は欺瞞に満ちていると言われますが、就職活動だけが例外となることなどは、あり得ないわけです。
ということで、就職活動に対してはいろいろな対策が必要になると思います。ごまかしは効かないと言いますが、もともとやる気がないわけですから、そのままでは絶対に就職できません。就職できない人間など、今の世の中で存在価値はないのです。否定するなら、2ちゃんねるで「ニート」と一言書いてみましょう。すばらしい侮蔑の嵐が吹き荒れることでしょう。存在価値とは、自分が認めることも含むかも知れませんが、他者によって自分の価値を認められることが主であると言えるでしょう。だから、就職できなければ存在価値はないのです。
対策と言っても、ごまかせることとごまかせないことがあります。例えば、できないことをできるように見せかけるのは難しいでしょう。就職活動において重要な要素であるコミュニケーション能力は、コミュニケーションによって就職活動を行う以上、ごまかしにくいと言えます。つまりは、やる気をごまかすしかありません。やる気などなくても、やる気があるように見せかけるのです。どこまで見せかけるかがまた問題です。あまりにやりすぎると嘘臭いですし、足りなければごまかす意味がありません。この点、もともとやる気のある人は楽ですね。素直にやる気があることを言えばいいのですから、程度を計算する必要などないでしょう。もっとも、あまりにやる気をアピールしすぎれば嘘だと思われるかも知れませんが。それでやる気のある人が落とされてやる気のない人のごまかしが通用したとしたら笑えますね。世の中はきっと、そんな矛盾に満ちているのでしょう。
ところで、就職活動のマニュアル本には「自分を変えろ」と記されていました。やる気がないのならやる気がある自分に変わればいいということですね。そんなにうまく行くか、バカ野郎と言いたいところですが、まあ一理あるとしておきましょう。でも、たかが就職ごときで自分を変えるってどうよ?と思いませんか。僕は自分ってものにプライドはありませんが、それでも就職活動に合わせて、本気で理想の社会人になるなんてごめんだと思います。それはなぜか。サービス残業で過労死したくないからです。理想の社会人というと若干ニュアンスが違いますね。経営者から見た理想の労働者ですね。機動警察パトレイバーというマンガに、きっと正しいと思える意見が載っていました。経営者にとって理想の労働者とは給料のいらない従業員だと言うのです。会社のために私財をなげうってくれりゃもっといいのかも知れませんが、結局のところこういう話なのです。そんな理想につきあうなんてやってられないと思うのです。ああ、「残業」というキーワードで、僕の認識をきわめて適切に表現してくれていますね。これはつまり、僕の認識が少なからぬ人に共有されているということでしょうか。少なくとも、残業ということについて限れば共有されていそうです。
理想とか希望とか、そんなものを現状の社会で持つのは不可能なのです。特に、仕事にそれを求めることはますます不可能です。従って、そういうものは仕事以外のところに求めるべきで、そうなれば就職活動に対してやる気を持つなど必然的に不可能になるわけです。
こんな長文、一体誰が読むのでしょうね。知り合いは「高々4000字程度の文章で長文だなんておかしい」と言っていましたが、一般的にPCの画面で4000字の文章を読むことは苦痛でしょう。まあ、誰かの利益のために書いているのではなく、あくまでも日記だからいいのではないでしょうかね。
まあ、現在の社会状況を理解しつつ就職活動を精力的にしている人は少なくないでしょう。僕は、そんな人を尊敬してやみません。行く末に希望などまるでないのに、そんな行く末に向かって全力疾走できるのですから。世の中それしか選択肢がないとは言え、それでもやはりすごいことだと思います。
ここまで書いてみて、このエントリからリンクされているキーワードをいろいろ見てみました。「働いたら負けかなと思ってる」ってのはおもしろいですね。さすがにここまでは思いませんが…。しかしまあ、働かずになおかつ生活できるのなら、もちろん働いたら負けという考え方もあるでしょうけど、実際は働かなければ生活できませんからね。3億円の宝くじに当たって、その宝くじで一生過ごしていこうと考えている人にとっては一考の価値がある考え方なのではないでしょうか。
まあつまりは、就職する積極的な理由がないから就職したくない。でも就職しなければならないが、当然やる気がない。やる気がないのは就職活動に不利である、って話ですね。こんなのどうしようもないんじゃないかと思っちゃいますがね…。もちろん、どうしようもなくたって就職活動はしますけども。積極的な理由がなくても、就職しなければ食っていけないという消極的な理由がありますからね。だいたい、この消極的な理由以外のことを考えられるだけでも、日本って国はめちゃくちゃに贅沢なんですよね。その認識を忘れるべきではないと思います。そう、他と比べればはるかにマシな選択肢を並べられて、その中で無い物ねだりをしているだけとも言えるわけです。
こう考えると、理想論なんて言うべきじゃないと思ってしまいます。仕事で自己実現とか、そんなあり得ない幻想を並べるから贅沢を考えてしまうのではないかと。…なんだか自分のことと一般のことがごちゃごちゃになってきてますね。一応、自分のことは別の、エンピツの日記あたりに書くようにして、ここでは社会一般について書きたいと思っているのですが。自分について言えば、世の中の趨勢など関係ありません。ごちゃごちゃ理由があろうとも、結局自分の問題だからやるしかないのです。他人のせいとか世の中のせいにしても何も解決しませんから。で、自分の話はこの際興味がなくて、考えたいのは一般論です。自分のことを考えたって、絶望的でちっともおもしろくありませんからね。で、ここから一般論に引っ張りたいわけですが、そう思うのはきっと僕だけじゃないはずなのです。僕だけじゃないはずなのですが、実際はすごく恵まれているわけです。就職戦線と言ったって、実際はそれほどつらくはないと聞きます。もっとも、以前と比べればマシになったって話ではありますけど。ともかく、恵まれた選択肢が存在しているわけで、実際選び取ったあとの人だって、歴史的に全人類のことを考えればかなり恵まれているわけです。事故でもない限り、そう簡単に死にませんしね。だから、現状で満足することがもっと必要なのではないかと思うのです。
話はそれますが、就職に限らず、もっと現実を見ることが必要じゃないかと思うことは多々あります。何かをやろうと思ったとき、重要なのは成し遂げたい理想ではなくて、目的を達成するための方法なのです。具体的にどうやって手足を動かせばいいのか、その点が最も重要なのです。自己実現とか、あるのかないのか分からないような空想にふけっても仕方ありません。比較するためには比較対象が必要なのですから、冷静に他の国や過去の歴史上の人類などと比べて、相対的に恵まれていることを認識するべきなのです。認識したら、しょうがないから現実に何をやるのかを考えて就職すればいいのです。夢を見て食っていけるわけではありませんから。大事なのは現実であって、それ以外などすべて二の次だと思うのですが、どうもその点を忘れている議論が多すぎる気がしてなりません。些細なことだと言って無視されがちな気がするのです。
よい例が、最近の商品開発の手法ですね。もっとも、実際にこんな無茶な手法が採用されているのかどうかは知りませんが。それは、マーケティング指向とかなんとか言うらしいですが、要するに値段から商品開発を始めるわけです。「10000円のMDプレイヤー」ってところから始めて、商品を作っていくわけですね。まあ、うまくいけばそれでいいでしょう。しかし、実際にそんなにうまく行くと思いますか。原価0円でなんでも作れるならそりゃ理想ですが、そんなのできっこないのです。ものの値段ってのは原価の合計より高くつけなければならないのだから、原価より先に値段を決めてしまうなんて無理がありすぎると思うのです。お前ら夢見すぎ、夢から覚めなさーいって思いますね。
まあ、それを言えば、自分の問題を棚上げにして社会の一般論を言うこと自体が夢を見ているということにもなりますが。僕一人がいくらウェブで意見を公開したところで、それで世の中が変わることなどないのですから。世の中を変えるためには、まず世の中を変えるためにそうすればいいかを考えなければなりません。おそらく、「絶対に世の中は変えられない」と考えるのは間違っているでしょう。直感的には正しそうな考え方ですが、明確な根拠がありません。そう、こういう意見の是非を考える上でも重要なのは、理想ではなく現実です。世の中が変えられるか否かは、世の中を変えるために何ができるか、一体どうすれば世の中が変わるのかという手法の点から考えるべきなのです。そして、手法の是非について考え、手法が現実的に実行しうるものなら世の中を変えることもできるということになるでしょう。