orkut八分

くっだらねーーー!
と思うのですが、考えてみると、そうとも言っていられないような気がします。
まず、orkutに関しては知りませんが、少なくともmixiの場合、2ちゃんねるなどからも加入することができます。また、無差別にマイミクを募集しているコミュニティなどがあるので、時間さえあればマイミクを増やすことは容易です。したがって、この問題自体はやはりくだらなくてどうでもよくて、なおかつ過去の問題なのです。
問題だと思うのは、このようなことが起こる精神的な土壌です。現代の若者の特徴が、このorkut八分という現象に現れているような気がするのです。すなわち、他人を受け入れることができないという特徴です。
そもそもは、学校に起因しているように思えます。価値観のほとんどが友達に依存しているという異常な学校です。もちろん、すべての児童、生徒がそういう価値観を抱いているわけではありません。しかし、僕の知る限りでは、友人関係がきわめて重要だと感じている子供は多いはずです。そのような価値観の場合、友人関係の維持に全力を費やすようになります。特に女子の場合は顕著でしょう。すると、心を許せる人を選び、それ以外を拒絶し、適当な人数のグループを形成するようになります。僕がわざわざ力説しなくても、20代の人なら、多くの人に心当たりがあるでしょう。仲良しグループというやつです。
仲良しグループ自体はいいのですが、グループに依存するあまり、それ以外の価値観を拒絶するようになっては問題です。他人を受け入れないという狭い心も問題ですが、こちらは成長すれば嫌でも修正されます。高校、大学、社会と徐々に広がっている世界を受け入れない限り、生活していくことはできないからです。
一方、その逆の心はいつまでも修正されません。すなわち、自分の所属しているグループ以外には拒絶されるという記憶です。
いじめ問題を例に取るまでもなく、グループに拒絶されること、人間関係の維持に失敗することの恐怖は、多くの人に刻み込まれています。例え自分自身にその記憶がなくても、いじめを目撃したりして、その恐怖を心に刻んでいる人は多いでしょう。するとどうなるか。人間関係を壊すような言動が取れなくなります。意識的にしているならまだ救いようがありますが、その多くは無意識にそのような言動を避けているように見えます。すなわち、空気を読むということです。
この経過こそが、若者の特徴を形作っているような気がしてなりません。すなわち、言われたことはできる、自分の意見を言わないという特徴です。
言われたことができるのは、そのときそのときに応じてうまく立ち回らないと、グループ内で自分の立場が維持できなかったからではないかと考えられます。例えば、学校の成績があまりに悪いとグループからはじかれるというような恐怖があったのではないでしょうか。また、自分の意見を言わないのは、その結果として誰かの不興を買い、余計なトラブルを引き起こすことを恐れたからです。
すべてが学校の人間関係だけが原因だとは思えません。しかし、子供の価値観で特に重要なのが人間関係だということを考えると、多くの人の人格形成に、少なからず影響を与えてきたと考えられるのではないでしょうか。そしてその結果、自分の意見を言えない人間が量産されているとは考えられないでしょうか。
少なくとも、高校まではそうしたことを感じませんでしたが、大学に入った後は、自分の意見を言えない人間というのを多く見てきました。その結果、たいして勉強もしていない、物事をそれほど深く考える習慣もない僕ですら、講義などの場で質問や意見を述べて目立つという結果になったりしたのです。大学よりも、ROの方がより強くそれを感じます。ROの場合、意見を言わなければならない理由が基本的にないので、よりその傾向が強いのかも知れません。しかし、集団行動をしているときに、その集団に対する意見を述べないということは、集団の方針が定まらないということを意味します。また、集団のリーダーとなっている人にとっても、何も意見を言わない不気味な構成員ばかりの集団ということになり、きわめて方針を決めづらくなります。そして、結果的に集団の意思とは違う方針の決定を行い、その結果として集団が崩壊するという状況になります。
子供の頃にグループからはじき出される恐怖を刻み込まれた人にとって、意見を言うということはかなりの勇気を要することでしょう。しかし、意見を言えない人間ばかりで形成される集団は、より正しいと言える意思決定ができなくなります。この問題の解決策はあるのでしょうか。学校の状況が改善されたとしても、すでに意見を言えない大人は量産されているのです。
とりあえず、意見を言いたいけど言えないと感じている人がもしいたら、一つだけ言いたいことがあります。それは、他人の意見を受け容れられないような心の狭い人間など、自分から切ってしまえということです。周りがそんな人間ばかりならまだしも、上述したように、大学や社会を経て、そんな人間はどんどん減っていきます。人の話を聞けない人間と言い換えれば、彼らが社会でどんな扱いを受けているか、容易に想像できるでしょう。