メディアの姿勢について

朝日新聞を見ていたら、独自の視点でどうとか、より深く論じるとか何とかいう目標がかかげられていました。僕は、これに疑問を感じます。
新聞の最も重要な役割は、事実を伝えることでしょう。まず、この点がはっきりしていなくては、その先はありません。基本的にメディアは、中立公平無私であるべきです。どの組織、個人にもよらず、まったく偏らないのが理想です。でなければ、情報の受け手がその情報について検討する妨げになります。
そのような情報の例として、僕は通信社の報道が挙げられると思います。しかし、ポータルサイトのニュースなどを見ていただければ分かるとおり、事実だけの報道は実に簡潔で、飾り気がありません。これだけでは考えるきっかけにはなり得ないでしょう。それでもいいのかも知れませんが、やはりちょっと不満も感じます。不満を感じるからって、むやみに改善しようとするからおかしくなるのかも知れませんが。
ともかく、事実を事実として認識するところをクリアしたら、そこで初めて議論を始めるべきです。それも、メディアの意見を紹介するのではなく、世の広範な意見を探して紹介すべきです。メディア独自の意見など、情報の受け手にとっては限りなくどうでもいいことです。メディアの意見で世の中を動かそうなんて傲慢もいいところです。三歩下がって三つ指を突いて黙っているべきです。そうではなく、なるべく世の中を代表するであろう、識者の意見を記すのです。そして、議論はこれで十分です。結論までをメディアが示す必要はまったくありません。結論を示さなくても、結論を誘導するような議論も同様に必要ありません。
つまり、メディアはあくまでも事実を報道すべきなのです。識者の意見を事実というべきかどうかは難しいところですが、「とある識者がこのような意見を述べている」という意味で事実と言えるでしょう。意見の中身はまだしも、意見を述べたことは事実です。そして、それで十分です。メディアの中途半端な知識に基づいた、偏った意見など必要ありません。独自の議論などもってのほかです。独自の議論と結論を出すのは情報の受け手です。そんなことまでメディアに世話を焼いてもらう必要はないでしょう。