愛国心の涵養

国を愛する心ってのが議論されています。ただ、方向性を間違っているのではないかと思われる意見がかなり見られます。
愛国心を持ってもらいたいと考えた場合、最終的な目的は、愛国心を持ってもらうことです。どう見ても重言です。愛国心を持った結果として求めることはいろいろあるにせよ、少なくとも愛国心を持ってもらいたいと思うなら、愛国心を持ってもらえば目的を達成できます。
ところが、この単純な理屈が理解されていないような気がします。国を愛して欲しいと言っても、「国を愛すべきだ」と主張してもあまり意味はないでしょう。国というのは抽象的、象徴的な存在で、それ自体は実体として存在しないからです。愛ということはよく分かりませんが、普通の人間は、存在もしないような抽象的なものはなかなか愛せません。宗教などにおいても、神を愛せよと言って、実際は像などを作って崇拝しているのがいい例です。自分の頭の中にあるだけのものを愛するなんてなかなかできません。ましてや、他人とその概念を共有するなんてなおさらです。愛すべきものは、もっと具体的でなければなりません。
国を愛すると言ったとき、具体的なものとは何かと言えば、国土であり、文化であり、そこに住む人々です。だから、愛国心を持ってもらうためには、国土の良さ、文化の良さ、人々の良さを訴えなければなりません。と言っても、土地には優劣なんてありません。人が暮らしやすい土地と暮らしにくい土地という言い方はできるでしょうが、それぞれにそれぞれの良さがあります。まあ、良さを理解するというのは大事ですが、あえて自分の国の土地だけ愛するというのは、客観的に見れば無理があります。文化も同様です。それぞれの文化にはそれぞれの良さがあり、ある国の文化だけが一方的に優れていることなどあり得ません。もしそう思っているのなら、今の地球にはさまざまな文化の人々が協力し合って暮らしているので、考えを改めるべきではないかと思います。他人を尊重しなければ、コミュニケーションは成立しません。そして、今の地球において、もはや違った文化の人とコミュニケーションをせずに生きていくことは不可能でしょう。何より、コミュニケーションを取らなければ、相手が何を考えているのかまったく分からなくて怖すぎます。もちろんそれはお互い様であり、自分が相手を怖がっていれば、相手だって自分を怖がっていることでしょう。力があれば相手をねじ伏せることもできるでしょう。しかし、力はより大きな力に屈する運命です。また、大きな力を維持し続けるには大変な苦労が必要です。ある程度は必要でしょうが、力だけを求めていては、幸福な生活にはほど遠いでしょう。平和な暮らしを考えるなら、力以外のことも考えるべきです。
そういうわけで、国土も文化も、他国と比べて自国が優れているとする理由がありませんから、なかなか愛しづらいものがあります。もちろん、優れていなくても愛せるという心の優しい人はたくさんいます。そんな人に、国土や文化の良さを伝えることは大事なことです。だいたい、その国に生まれた以上、もともと自分の国にはある程度の愛着があるはずです。どちらも良いとなれば、大抵は自分が所属している方を愛したくなるでしょう。
はっきりと優位を示せるのは、人です。と言っても、民族に優劣はありません。身体的な差はあるでしょうが、総じて見れば、誰だってただの人です。しかし、人には何かを成し遂げるだけの可能性があります。その可能性こそを愛すべきです。つまり、愛すべきは人の未来です。世界中の人の未来を愛してもいいのですが、それでは愛国心につながらなくなってしまいますし、あまりに漠然としています。しかし、自国の人だけであれば、今や情報交換は容易な世の中ですから、ある程度価値観を共有できるでしょう。
ここで重要なのは、過ぎたことはどうにもならないということです。もちろん、間違ったことであれば正すべきですが、それ以上はどうにもなりません。例えば、日本が戦争を仕掛けたことは事実であり、否定のできないことです。一方、戦争をするにはそれなりの事情があったことも事実でしょう。事実は事実として踏まえ、2度と同じことを繰り返さないことが重要なのです。見るべきなのは未来です。
国民として価値観を共有し、共に進んでいくことを訴えるべきです。どんな人にだって、優れている点はたくさんあります。優れている点は、積極的に見出すべきです。そして、広く知らしめるべきです。我々はこれほどに優れているのだと、誇りを持つべきです。例え世界で1番でなかったとしても、優れていることを知れば、人は人を愛することができるでしょう。そして、それこそが愛国心へとつながるのではないでしょうか。
まあ、問題は、愛すべき未来の具体像を示せないことなのかもしれませんね。僕自身、今の生活に不満はないし、成し遂げたいこともありません。いろいろすごい人がいて、他の人にはできないようなすごいことを成し遂げています。でも、すごいと思うだけで、別にどうでもいいような気もします。共通して抱けるような希望のある未来があればいいのでしょうが、現時点でそれほど問題はないので、希望とかいらないんですよね。