社会人の答え

よく、「社会に出たら答えのない問題ばかりだ」と言われることがあります。
ただ、実際のところはそんなでもないんじゃないかと思うようになってきました。
学校で求められる答えは、数学なりなんなりの理屈によって求められるものです。ただ、生徒の立場から見れば、それは教師が決めたものが答えです。極端な話、数学のテストで数学的に誤った答えを書いたとしても、教師が正しいと言えば正しいのです。
社会に出たらそんなことはないのかと言えば、実際にはそんなでもないんじゃないでしょうか。確かに、数学のような万人が納得するような理論は存在しない場合がほとんどです。でも、教師に該当するような答えを決める立場の人間が大抵の場合はいます。それは上司であったり、顧客であったりするでしょう。社長などの上の立場の人間であれば、その他に株主などのステークホルダーが含まれると思います。
結局のところ、そういう人たちの求めるものが答えであり、そうでない仕事をすればそれは間違っているということになるんだと思います。誰もが想像もしなかったようなものを作ったとしても、それが評価されたのであれば、それは出した答えがすばらしかったと言うだけのことです。答えを決める立場の人間に対して間違ったものを出して評価されたわけじゃありません。正しい答えを示したから評価されたのです。
とは言え、数学のような確立した理論がない以上、問題に対して決まった答えがあるわけではありません。その意味では、やっぱり答えはないと言うのが正しいのかもしれません。でも、そんなことを言えば、学生にとっての国語だって似たようなものじゃないかと思うのです。なんかそれなりのパターンがあって、それさえ理解すれば誰にでも解けると言いますが、そんなの学校じゃ教えてもらえませんもんね。国語の問題なんて、例えば小説の場合、小説を書いた本人ですら解けないそうですから。予備校なら教えてくれるみたいですけど。